5章 アインシュタインの生涯
天才も最初は落ちこぼれだった
アインシュタインは、ユダヤ人の中流家庭に生まれました。
生まれたときに、アインシュタインの後頭部が異常な形だったため母親のプリーネは非常に心配したそうです。
子供のころのアインシュタンは言葉の発達が遅れていました。
9歳になったときでも会話に苦労していたようです。
アインシュタインの科学との出会いは5歳のときです。
父親ヘルマンからもらったコンパス(方位磁針)に神秘を感じ取りました。
やがてアインシュタインは9年制のギムナジウムに通うようになります。
ギムナジウムというのは、中学と高校を合わせたような一貫教育を行う学校です。
アインシュタインは子の学校になじめず、相当悩んだようです。
強制的な暗記はまったくダメだったようでした。
アインシュタンが15歳のとき、父親のヘルマンが事業に失敗し、一家はイタリアに転居します。
ギムナジウムに通うため、アインシュタインはドイツに残りました。しかし、ストレスは増えるばかりで、卒業直前に退学し、イタリアの家族に元に戻りました。
16歳になると、アインシュタインはスイスのチューリッヒ連邦工科大学を受験します。
ドイツの学校には行きたくないが、ドイツ語の通じる学校に行きたい。
結局はスイスの学校がこれに相当します。
受験では物理と数学で高得点をマークしたものの、他の科目が足を引っ張り不合格になってしまいました。
しかし、アインシュタインの物理と数学の才能に目を付けた校長が、一年間、アーラウの州立学校に通学することを条件に来年の入学を許したのです。
アーラウでの学校生活はアインシュタンに合っていました。
このころ、アインシュタインは一つの空想に取りつかれます。
-------もし、光と同じ速さで光を追いかけたら、その光はどう見えるのだろう。
特殊相対性理論のルーツは、こんなところにあったのです。
やがてチューリッヒ連邦工科大学に入学したアインシュタインは興味のある授業には熱心だが、そうでない授業には出席せず、マッハやボルツマンの著作に没頭しました。
ある教授から「君には物理の才能がない」と言われたこともあります。
なお、最初の妻ミレーバと出会ったのはチューリッヒ連邦工科大学でした。
ミレーバは同級生だったのです。
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